【第5話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

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【第4話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

 

2011年4月。

 

僕は大学4年間でほとんど着ることが
なかった私服を着て、池袋のキャンパスに現れた。

 

応援団に在籍していた4年間は、
基本的に学ランを着ていけばよかったので、
服選びの手間もなくて楽だった。

 

突然服を選ばなければいけなくなり、
最初は非常に戸惑った。

 

高校生から大学生に上がったばかりの
新入生も、こんな気分なんだろう。

 

その時の僕は、留年したことで卑屈になり、
暗い表情を振りまく状態ではなかった。

 

むしろ、意外に明るい雰囲気を醸し出していた。
キャンパス内では、当然後輩に遭遇した。

 

後輩は、引退したとはいえ、
先輩である僕に挨拶してきた。

 

僕はそれに対して、フレンドリーに返した。

 

応援団現役時代にはできなかった、
「爽やか対応」を貫いた。

 

威圧感のあった「怖い竹内先輩」は、
率先して声をかけてくれる「爽やか先輩」になった。

 

なぜ、留年したことで気持ちが塞いで、
引きこもり→うつ病にもなった僕が、
明るく振る舞えるようになったのか?

 

・・・実は、それに対する明確な答えはよくわからない。

 

強いていうなら、「開き直れた」というか、
外に出たら気分が晴れやかになったのだ。

 

やはり、部屋に引きこもっていると
人はロクなことを考えなくなるようだ。

 

外に出て、違う空気を吸う。

 

近しい身内以外の人と会って、話をする。
それだけで、随分気分が晴れやかになった。

 

そして、極めつけはキャンパスを歩いた時だ。

 

最初はおっかなびっくりキャンパスを歩いていたが、
後輩と遭遇して「あ、竹内先輩だ」となった。

 

その後輩は、愛想が良くて、
僕を見てすぐに笑顔になった。

 

それを見たら僕も、なんだか笑顔になれたのだ。

 

そして同時に

 

「あれ、意外と俺、バカにされてない?」

 

という気持ちが湧いたのもある。

 

つまり、実際には自分のことなんて
周りはそこまで気にしてなかった。

 

恐れていたような

 

バカにされる
笑われる
指を指される

 

みたいな対応をする人は、全くいなかった。

 

完全に僕が「自意識過剰」だったということに
気づけたのが大きかったのかもしれない。

 

僕が想像していたよりも、
周りの反応は全然よかった。

 

みんな、僕が想像していたよりも、
はるかに暖かく、僕を迎えてくれた。

 

「ああ、意外に人って温かいんだな」

 

そう実感できた瞬間、
まるで大きな憑き物が落ちたかのように、
僕の気持ちは軽くなった。

 

それまでの沈んだ気持ちが反転するかのように、
今度は明るい気分にすらなった。

 

しかし、周りの人からの対応は気にしなくなっても、
僕にはまだ、気がかりな問題が残っていた。

 

・・・就職への「留年」の影響についてだ。

 

時間がたっぷりできたことで、
僕は応援団時代に目を背けていた
自分の進路について、考えるようになった。

 

事前に先輩などから

 

「25歳までなら、新卒扱いで入社できる」

 

と僕は聞いていた。

 

つまり、浪人、留年合わせて、
3年以内なら大丈夫だということ。

 

僕はギリギリ1年浪人、2年留年(予定)だったので、
新卒枠で就職活動はできるはずだった。

 

しかし、僕は一般企業に就職する道は
あまり考えなかった。

 

僕の関心は、公務員試験に向かったのだ。

 

理由は、やはり公務員となれば、
留年などしていても、そこまで合否には
影響がない、というのが大きかった。

 

一般企業だと、面接時に履歴書や
エントリーシート(ES)などで留年したことがバレると

 

「なんで留年したんですか?」

 

と面接官に問い詰められて、入社に不利だと判断したからだ。

 

そして、僕は毎日無機質なオフィスに通い、
パソコンとにらめっこするみたいな生活に
全く興味がなかった。

 

毎日キツいスーツを着て、出社するのも嫌だった。

 

それよりも、もっと気持ちが盛り上がり、
誰からも尊敬されるような仕事をしたかった。

 

そして、やはり公務員は給料がそれなりに高く、
身分も保証された「安定さ」は、魅力的だった。

 

転勤も嫌だったので、
転勤のありそうな国家公務員ではなく、
地方公務員に関心は向いた。

 

結果、僕は公務員の中でも「消防士」に強く憧れた。

 

その時の僕の主観では

 

オフィスで働くサラリーマン=ダサい

 

という価値観が強く、あまり尊敬していなかった。

 

それに対して、消防士は人の命を救う仕事だ。

 

身体もガッシリしているし、万が一の時に
一番頼りにされる仕事だろう。

 

「消防士になろうと思う」

 

と僕が口にしても、誰も反対する人はいなかった。

 

「いいじゃん!」
「カッコいいじゃん!」

 

と、高反応が返ってくるのだ。

 

消防士の社会的地位は高かった。

 

そして、僕も応援団で体育会気質が
育まれたため、誰もが「ピッタリだ」「向いてる」と言ってくれた。

 

それに、僕が消防士に興味を抱いたのには、
直近に起きた東日本大震災の影響も大きかった。

 

あの時の消防士の活躍ぶりは見事だった。

 

災害救助に当たる彼らの姿はテレビでも取り上げられ、
救出された人からは泣いて感謝されていた。

 

もともと低くなかった消防士に対する
世間のイメージはうなぎのぼりだった。

 

消防士と比較される警察官は、必ずしもそうではない。

 

警察官は補導されたり、
スピード違反で止められたことがある人などからは、
悪く言われることも、日常茶飯事なのだ。

 

「この税金泥棒!」

「俺らの税金で食ってるくせに!」

 

なんて、制服を着て道を歩いていたら、
突然後ろから叫ばれるなんてことも、頻繁にあるとか。

 

同じ「公安系」の公務員でありながら、
社会の評価はこうも違うかと驚いた。

 

自衛隊は考えなかったのか?とも言われるが、
それは一切考えなかった。

 

自衛隊は、年をとったら働けなくなったり、
タクシー運転手として再就職する人が後を絶たないというのを
知っていたというのももちろんあるが。

 

やはりいざとなったら自分の命を差し出す可能性も
ある仕事には、つきたくないというのが本音だった。

 

まあ、消防士だって命の危険と隣り合わせなんだが、
そこはあまり深く考えていなかった。

 

というより、自分がまさか死ぬなんて、
これっぽっちも思ってなかったのだろう。

 

それに、消防士は女性からも
モテると聞いたこともある。

 

要は「ウケがいい」職業なのだ。

 

僕はそういった下心や打算丸出しで、
進路を決めようとしていた。

 

留年生として過ごすことになった
大学5年目、6年目の生活。

 

僕は大学に通って単位を消化しながら、
「何か」に熱中、挑戦したくてしょうがなかった。

 

留年するとわかるのだが、
時間がありすぎて仕方がない。

 

親に学費を打ち切られた人は、
アルバイトを必死に頑張って、
生計費+学費を稼ぐことに必死になってる人もいる。

 

でも、僕の場合は親がため息をつきながらも、
なんとか学費を出してくれることになっていた。

 

他にも、奨学金で4年間通っていた人は、
打ち切られてアルバイトを余儀なくされている人もいた。

 

僕はその点、「恵まれた留年生」だったのかもしれない。

 

身体を鍛えようと、ジムに通ったりもした。

 

応援団時代はできなかった、
レストランでのアルバイトもはじめてみた。

 

アルバイトは最初は慣れなかったが、
慣れてきたらすんなり出来るようになった。

 

それはそれで、それなりに楽しかった。

 

ただ、なんというか、、、熱中とまではいかなかった。

 

応援団の活動は、それこそ授業やテストを放棄するくらいに
「没頭」していたので、それが「基準」になってたからなんだろう。

 

全身全霊をかけて打ち込めるものに、僕は飢えていた。

 

そして、そんな上がりかけた僕の気持ちを冷ますような
出来事が起こるようになる。

 

続く
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竹内

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