【第2話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

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【第1話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

 

僕と同じように授業をサボっていた同級生は、
テスト前になると、真面目に授業に出ていた同級生から、
ノートを必死に集めていた。

 

授業にほとんど出席していなかった僕も、
さすがにテスト前は、慌ててノートを集めようとした。

 

…と言えればまだかっこはつくのだが、
その時の僕は、それすらも面倒くさくなっていた。

 

「なんかもう、どうでもいいや」

 

1年生の前期のテストは、8割がた受けていた。

 

でも、ロクに勉強もせずにテストに臨んだので、
半分以上の試験は「不可」になった。

 

つまり、単位が取得できなかった。

 

僕の1年生の時の取得単位は、確か10前後だったはず。
(ちなみに、普通の同級生は30〜40を普通に取得していた)

 

立教大学文系学部の卒業要件単位は、
平均して120前後。

 

1年間に取れる単位の上限は40弱。

 

つまり、1年生〜3年生までフルで40弱の単位を取れば、
4年生の1年間は、ほぼ授業もなく、遊んで過ごせるというわけだ。
(卒論とか、卒研がある人は、それだけになる)

 

僕は2年生になったら、単位を取ろうと考えた。
2年生になったら、雑用は1年生に振れるだろうし、
ちょっとは授業に出る気にもなるだろう、と考えた。

 

しかし、その予想は大きく外れた。

 

確かに、2年生になり、応援団の活動にも慣れ、
入ってきた1年生に雑用を振れるようになり、
授業に出る余裕が1年生の時よりは生まれた。

 

そう、授業には十分出れたはずなのだ。

 

しかし僕は相変わらず、
授業をサボって部室棟の非常階段で寝ていた。

 

1年生の時と比べたら、
そこまで体力的にも精神的にも、
疲弊していたわけではない。

 

ただ、なんとなく授業に出る気にならなかったのだ。

 

・・・完全に「サボり癖」がついていた。

 

サボることに味をしめてしまったのだ。
結果、私が2年生の1年間で取得した単位数は

 

4

 

だった。

 

これは、所属が必須だったゼミに
1年間出たらもらえる単位数だ。

 

ゼミだけは、何とか落とさないようにしたかった。

 

なぜなら、ゼミを落としたら、その瞬間に
「留年」が決まってしまうからだ。

 

しかし、結果としてそのゼミの単位以外を
全て落とすという、意味不明な結果になっていた。

 

僕はだんだん、目の前の現実から目をそらし始めた。

 

今になって思えば、あの瞬間、
僕の留年は決まっていたはず。

 

しかし、僕はもう取得単位とか、
卒業要件単位とかは、考えないようにした。

 

立教大学からは、留年が決まっても
留年通知書みたいなものは送られてこないようだった。
(少なくとも、僕が在学していた頃はそうだった)

 

当時僕は、埼玉の実家から大学に通っていたので、
それらしき書類が家に送られてきたらどうしようと、
常に内心ヒヤヒヤしていた。

 

ちなみに、立教大学は取得単位数が少なくても、
「学年」は上がるようになっている。

 

4年生が終わっても単位が取得できていない場合は、
5年目、6年目、、と加算されていく。

 

ちなみに、大学に在籍できる期間は、最高で8年生まで。

 

「休学」とかせずに8年間在籍したにもかかわらず、
卒業要件単位を取得できない場合は「除籍」処分になる。

 

そうなったら、「中退」にすらならない。
最終学歴が「高卒」になる。

 

僕は3年生になっても、相変わらず
2年生と同じように、授業は出なかった。

 

一応、学期初めの授業登録期間には、
授業登録だけはしていた。

 

しかし、授業が始まっても授業には出ない。

 

というか、2年生、3年生の頃はテストにも出なかった。

 

なぜか?

 

どうせ受けても、合格するとは思えなかったからだ。

 

授業は出てない、授業ノートは集めてない。

 

要するに、勉強意欲がゼロだった。

 

そんな感じで、3年生の取得単位も、
両手で数えられる数だった。

 

もう間違いなく、留年は確定的だった。

 

しかし、僕は自分の取得単位とか、
卒業要件単位数があといくつなのかとか、
そういう現実からは目をそらしまくった。

 

同級生に

 

「竹内、お前卒業まであと何単位?」

 

とか聞かれても

 

「んー、あと30単位くらいかなー」

 

とか、それらしい嘘をついてその場はごまかした。

 

とても本当の数字を調べて、
本当のことを打ち明ける気にはなれなかった。

 

もしあそこで

 

「あと100単位くらいかなー」

 

とか言おうものなら

 

「え、お前それ留年確定じゃん」

「うわー、何やってんだよお前ダサいわー!」

 

とか言われるんじゃないかと思うと、
適当にウソつくしかなかった。

 

人からバカにされるのが怖かったのだ。

 

恥ずかしい、みじめな気持ちになるのが嫌だったのだ。

 

自分のプライドを守ろうと、必死だったのだ。

 

どうせいずれ、本当のことを明かさないと
いけないのは間違いないのに、、、、

 

僕は隠し通せるまで、ウソを隠し通した。

 

そして、僕は4年生になり、
応援団では最上級生になった。

 

応援団での4年生というのは、
部活内では「神」のような扱いを受ける。

 

1年生:奴隷
2年生:平民
3年生:貴族
4年生:神

 

みたいな身分があると誰かが言ったが、
これはあながち間違ってはいない。

 

3学年にまたがる後輩たちが、
僕に超気をつかうようになった。

 

キャンパス内を歩けば、
後輩たちは僕に恐れおののき、挨拶をする。

 

僕は胸を張って、キャンパス内を
さっそうと歩くようになった。

 

「自分にできないことは何もない」

「みんなが俺のことを認めてくれる」

 

とでも言わんばかりに、自信に満ち溢れていた。

 

タイムリミットが迫っているとも知らずに、、、

 

続く。

【第3話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

 

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【第1話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

 

竹内

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