【第1話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

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こんにちは、竹内です。

 

僕は1年浪人して入った立教大学を
2年間留年して6年で卒業しました。

 

ちなみに、留学したわけではありません。

 

「希望留年」でも、

「就職留年」でもありません。

 

普通に単位を取らない、授業に出なかったので、
追加で2年通う羽目になりました。

 

ちなみに、僕が通っていた社会学部は

 

「息をしてるだけで単位が取れる」

 

と揶揄(やゆ)されるくらい、単位取得が楽勝な学部です。

 

なので、「社会学部なのに、なんで留年したの?」という質問も、たびたび受けました。

 

おそらく、在学中の僕は、

息をしていなかったのだと思います。

 

これだけ聞くと、ただの「ダメ人間」ですよね。

 

僕も、「留年」という事実に直面した時には、
精神的にどん底に落ち込み、うつ病になってました。

 

でも、今では心のそこから「留年してよかった」と思えます。

 

なぜなら、普通に卒業していたら
手に入らなかった幸せな毎日を送れているからです。

 

「???」って感じですよね?

 

だって、一般的なイメージでは留年って

 

 

クズ
落ちこぼれ
落第者
甘えてる
怠慢
サボり
バカにされる
恥ずかしいこと
情けない
死にたい
モテない
家に連絡来て親にバレたらヤバい
親に申し訳ない、親不孝過ぎる
友達に言えない
彼氏、彼女に別れを告げられそう
大学の後輩に笑われそう
就職活動(就活)で不利
というか就職できない
面接で突っ込まれたらどう答えよう

 

 

みたいに捉えられがちですから。

 

僕も最初は上記全ての感情を抱いていたので、
留年しそう、あるいはしたことで苦しむ人の気持ちが分かります。

 

そして、今では上記全ての感情を乗り越えるどころか、

 

留年しなかったら、今頃死んでいたかもしれない

 

とさえ思えます。

 

実際、僕と違い真面目に単位を取り、
ストレートで4年間で卒業した同級生たちに
先日お会いする機会がありました。

 

僕らの代は、卒業して6年ほど経ったので、
みんなだいたい20代後半になります。

 

同級生たちは、仕事はつまらなそうで、
今後の進路や人生に迷ったり、悩んだりしていました。

 

口では元気だと言っていましたが、
学生時代に感じた「勢い」は、感じなかったんです。

 

対して、僕は今学生時代以上に元気で、勢いがあります。

 

次から次へとやりたいことが出てくるので、
「退屈」「暇」「つまらない」なんて言葉はしばらく口にしてません。

 

経済的にも、僕は同世代のサラリーマンの
平均年収の倍以上を稼げています。

 

僕はシューカツをして内定は決まっていたものの、
就職する道を捨てて起業し、今では好き勝手に生きてます。

 

平日の昼間からテニスをしたり、
週明け月曜日から八丈島に遊びに行ったり、
気分が乗らない時は、仕事をせずに美味いもん食べたり。

 

嫌いな人間との付き合いとかも一切ありません。

 

今付き合ってる人は、みんな尊敬できて成長意欲が高く、
お互い高め合える人たちばかりです。

 

客観的に見ても、僕と同級生たちの立場は
逆転している気がします。

 

なぜ、「落ちこぼれ」であるはずの僕が
今ではこんな生活を送れているのか?

 

なぜ、「留年」することはチャンスでしかなく、
実は何も悲観することではないと言い切れるのか?

 

あるいは、多くの人が気になっているであろう、
「留年」した場合の「就職」とか「仕事」「キャリア」に関して、
僕の経験を踏まえて、これから何回かに渡って書いていこうと思います。

 

物語形式で書きますので、
サラッと読めるはずです。

 

飲み物でもわきに置きながら、
気楽な気持ちで読み進めてみてください。

 

では、始めますね。

 

授業も試験も放棄した理由

 

僕は高校卒業後、一年間の浪人を経て、
立教大学社会学部、現代文化学科に入学しました。

 

ちなみに、バリバリの文系学部です。

 

なぜこの学科を選んだかといえば、

 

やりたいことが特になかった
→社会学部はとりあえず「広く浅く」学べるらしい
→やってるうちにやりたいこと見つかるだろう

 

倍率の低い、入りやすい学科はどこだ?
→現代文化学科は、僕が受験時は倍率が比較的低かった。
→とりあえず受かるならどこでもいいや

 

立教を選んだ理由は?
→家から一番近い六大学だった&世間的なイメージもいいらしい
→「立教生です」って言えたら、なんかオシャレ

 

という感じで、明確に入りたかった大学でも学部でもない。

 

完全に「人からどう思われるか」を
基準にして、選んだ大学、進路だった。

 

試験当日は、勘で書いた答案がたまたま正解し、
晴れて合格。

 

正直、

 

「おめでとうございます。合格です」

 

という合格発表日の電話アナウンスを
聞いた時は、全然信じられなかった。
(試験はけっこう勘で解いた部分が多かったのでw)

 

そして、大学入学した僕は、
サークルには目もくれず、
体育会の応援団リーダー部に入部。

 

応援団リーダー部ってのは、
詰め襟の学ラン着て「フレフレ」叫んでる、
あの暑苦しい団体のこと。

 

なんでこの団体に入ったか、
その経緯は僕の書籍の方に書いたので省略します。

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応援団は、新入生の入部先としては
すこぶる人気がない。

 

まあ、団体のイメージが

 

「厳しい」「キツい」「つらい」

 

だから、仕方がないっちゃないんだが。

 

おかげでこの団体は、慢性的な人数不足だった。

 

しかし、野球部をはじめとして、
たくさんの体育会の部活の応援活動があるため、
週末は何かしらの応援活動が入り、ほぼスケジュールは埋まっていた。

 

練習はキツかった。

 

先輩が認めるまで、練習は終わることはない。

 

声が出なくなるまで絶叫し、
手のひらから血が出るまで、拍手をした。

 

雑用も面倒くさかった。

 

先輩の学ランが雨に濡れたら乾かしたり、
部の備品が壊れたり、足りなくなったりしたら、
下っ端の下級生が買いに行かなければならない。

 

授業時間以外は、だいたい練習してるか、
雑用してるか、そんな生活を送っていた。

 

先輩にも、しょっちゅう怒られてばかりだった。

 

応援団では、褒められることはほぼない。

 

基本的に挨拶レベルで日常的に怒られる。

 

そんな感じだったので、
正直、心も身体も疲れきっていた。

 

そこへ輪をかけて、大学の授業がつまらなかった。

 

教授はその辺の「催眠術師」よりも、
よほど人を眠らせるのが上手いんじゃないかといつも感じていた。

 

布団がそばに敷かれてたら、
気持ちよく熟睡できたはずだ。

 

しかし、布団は流石になかったので、
僕はしかたがなく机の上につっ伏して寝ていた。

 

授業はほぼ全部そんな感じ。

 

心身ともに疲れていたので、
授業は僕にとって「休憩タイム」だった。

 

応援団の活動で疲弊しきっていて、
とても授業を受ける気にはなれなかった。
(…という言い訳です)

 

「テストで点取れればいいっしょ」
そんな甘い考えで、寝れない授業を除き、
ほぼ全ての授業を寝て過ごした。

 

ただ、それすらも次第にダルくなり、
いつしか教室にも行かなくなってしまった。

 

授業時間になっても教室には行かず、
部室棟がある建物の非常階段で、
ダンボールを床に敷いて寝ていた。

 

なんでそんなところで寝るのかって?

 

応援団は色々と規律が厳しいので、
キャンパス内のベンチに横になって、
堂々と寝るとか許されないのだ。

 

そんな姿を先輩に見られでもしたら、
即刻何かしらの「制裁」が下される。

 

なので、人目が行き届かない、
部室棟の非常階段の中で隠れて寝るしかなかった。

 

授業終了のチャイムを聞くたびに思ったものだ。

 

 

「ああ、また俺授業サボっちゃったよ」

「まあいいか、なんとかなるだろ」

 

 

そんな感じで、授業をサボりにサボりまくった。

 

そして、学期末になり、試験期間を迎えた。

 

続く。

 

【第2話】「留年」は「人生最高の出来事」だった

 

竹内

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僕は作文で一文字も書けないくらいの文章オンチでした。

そして、きついこと、つらいこと、続けること、厳しいこと、
ありとあらゆる困難から逃げてきた「ヘタレ」でした。


一浪してやっと立教大学に入るも、
大学では体育会応援団リーダー部の活動で
授業をサボりまくり、2年間留年しました。


そんな僕でも、立教大学卒業後、
起業して2年間で10億円以上の売り上げを
文章だけで叩き出すことができました。


一度も会ったことがない人にも、
50万〜100万のサービスがバンバン売れました。


文章だけで一度も会ったことがない女性を
落とした経験もあります笑


ちょっと意味わからないですよね?


でも、僕に何か特殊能力があったわけではありません。


ただ、「ある人との出会い」と「普通に生きてたら知れない情報」を知ることで、
僕は2年という短期間で生まれ変わったかのように、人生を変えることができました。


結局、「知ってるか知らないか」なんですよね。
能力や才能やセンスではなく。



でも、それは普通にネットを検索しても出てきません。


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誰でも手に入れることができるし、「知るだけ」で
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